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【オススメ度★★★★★】母なる証明 殺人の追憶に続く大傑作。1カットからの見事な伏線回収に脱帽!!!

監督:ポン・ジュノ 脚本:パク・ウンギョ/ポン・ジュノ 製作:ソウ・ウォシク/パク・テジョンユン 出演者:キム・ヘジャ/ウォン・ビン/チン・グ/ユン・ジェムン/チョン・ミソン 撮影:ホン・クンピョ 美術:リュ・ソンヒ 音楽:イ・ビョンウ 編集:ムン・セギョン 衣装:チェ・ソヨン 配給:韓国:CJエンタテインメン/日本:ビターズ・エンド 公開:韓国 2009年5月28日 日本 2009年10月31日 上映時間:129分 製作国:韓国 言語:韓国語

実際の未解決連続殺人事件を天才監督が映画化  

 韓国で実際に起こった「華城連続殺人事件」は、80年代半ばから90年代初頭にかけて、ソウル近郊の農村で10人もの女性が強姦殺人の被害者となったという凶悪事件。 長らく未解決とされ、時効が成立していたが、ついに2019年に犯人が特定され、妻の妹の強姦殺人によって無期懲役の刑を受けていた囚人だったことが分かった。この凄惨な連続殺人事件を、いまだ犯人が見つからない2003年の時点で映画化したのが、本作『殺人の追憶』である。 監督は、先頃『パラサイト 半地下の家族』(19)によって、カンヌ国際映画祭・最高賞パルム・ドールを、初めて韓国にもたらした、いまや世界を代表する巨匠のひとりとなっている、ポン・ジュノ。本作『殺人の追憶』は、彼の映画監督としての初期を代表する傑作の一つとして、すでに評価が定まっている映画作品といえる。
 

警察のずさんな捜査を描写する思想的背景

 描かれていくのは、凶悪事件に対する刑事たちの捜査と容疑者の取り調べだ。地方の旧態依然とした警察署では、事件を解決するためとはいえ、ずさんな証拠集めや、人権を無視した取り調べを行うことが常態化してしまっている。スーツを着た容疑者はそれなりに丁重に扱い、社会的地位の低そうな容疑者には、遠慮なく暴力を振るう描写にリアリティがこもっている。  本作の主人公である、ソン・ガンホが演じる地元の刑事パクもまた、そんなやり方に慣れきった、荒っぽい刑事のひとりである。彼は後輩の刑事チョとともに、知的障害のある焼き肉屋の息子に目を付け、彼が訴えられないのをいいことに、拷問まがいの取り調べに及ぶ。これでは、事件解決のために事件を起こしているようなものだ。

 この頃、韓国は全斗煥(チョン・ドゥファン)による軍事政権の統治下にあった。韓国映画『タクシー運転手』(17)で描かれた1980年の「光州事件」は、全斗煥によるクーデターに対するデモ運動を起こした市民が、軍と機動隊によって多数虐殺された出来事。権力を維持するために市民を殺害したという事実を追及されることを避けるため、政権はデモを北朝鮮による陰謀だと流布した。その後、全斗煥は、他にも汚職などの犯罪によって、有罪判決を受けることになる。  ポン・ジュノ監督が警察の捜査で表現しているのは、このような暗黒の時代の反映であるといえよう。ちなみに監督は、右派の朴槿恵(パク・クネ)政権下では、左派傾向のある文化人として、ブラックリストに名前が記されていたという。  興味深いのは、そんなひどい状況を、ポン・ジュノ監督はユーモアを駆使しながら、ある部分では、「ほのぼの」とすらいえる演出で描いていくところである。跳び蹴りを敢行する刑事や、激怒する課長など、まるでギャグ漫画のように笑えてしまうコメディ描写によって、警察の非道な行為に観客自身も乗せられて、なんとなく共犯関係になっていくような気がしてくるのだ。ここは、『パラサイト 半地下の家族』にも共通する部分であろう。

事件に落とされたアメリカの影

 そんな警察署に、キム・サンギョン演じるソウル市警のソ刑事が赴任してくる。比較的進歩的な考えを持つ、若手であるソは、パク刑事らの乱暴でずさんな捜査を批判し、データ主義に基づいた捜査を行おうとする。パク刑事は当然、彼の行動に不満を覚え、ふたりは犬猿の仲となっていく。しかし、このような騒動が裏で起こりつつも、連続殺人事件は被害者を増やしていき、一向に解決しないのである。  焦るソ刑事は、捜査にDNA鑑定を持ち込もうとする。アメリカの機関に犯人のものと思われる精液を送り、結果を待つのだ。大事なところをアメリカに頼るあたり、韓国という国家が、その成立過程からアメリカの権力の大きな影響下にあることを、ここで暗示しているように感じられる部分である。この問題意識は、後に『グエムル-漢江の怪物-』(06)によって、より先鋭化されたかたちで表出することになる。  雨の夜に起こる犯行、夜のチェイスシーンにくわえ、報道陣を巻き込んだ事件現場でのスペクタクルなどなど、本作が愛されるのは、ひとつひとつの演出の見事さが大いに影響していることは言うまでもない。そこに、音楽を担当した岩代太郎のピアノの旋律がかぶさることで、本作は娯楽映画としての面白さとミステリアスな雰囲気が共存する、深みのある映画になっているのだ。

問題のラストシーンの意味とは

そんな本作のなかでも、とくに印象的なのは、後日談が描かれるラストのシークエンスである。舞台となるのは、本作が公開された当時の“現代”。自分の刑事としての能力に自信を失ったパクは、いまではセールスマンとして一家を支える存在となっている。彼は、以前刑事として活躍していた土地を通りかかると、本作のオープニングで映し出された、美しい田園地帯に立ち寄る。それは、最初に被害者の遺体が発見された事件現場でもある。  パクがかつて遺体のあった用水路を、当時と同じように覗いていると、そこに通りかかった少女が、「この間も同じように、その用水路を覗いていたおじさんがいた」ということを語りだす。そしてその男は、「むかし、自分がここでしたことを思い出していた」と、彼女に語ったのだという。間違いなく犯人である。パクがその人物の容姿を尋ねると、彼女は「普通の顔だった」と答えた。それを聞いたパクは、突然ハッと前を向き、カメラも正面からその顔を捉える。

 このインパクトのあるラストにはどのような意味があるのか。ここでは、劇中で言っていたように、「犯人は現場へ戻ってくる」ということを表現している場面である。犯行を行った者は、当時のことを思い出して、自分のやったことを反芻して楽しむのだ。  であれば、逮捕されておらず社会に潜んでいるはずの、現実に存在する「華城連続殺人事件」の犯人も、同じような行動をとっていた可能性がある。もっといえば、この事件を基にした本作『殺人の追憶』を、当時のことを懐かしんで楽しむために、映画館に鑑賞しにきているかもしれない。  つまり、パクの目線の先に、観客席に座っている“犯人”がいる可能性をポン・ジュノは期待しているのであろう。そう、もしその構図が実現したのだとするなら、ついにパクは犯人の姿を、しかも現実の「華城連続殺人事件」の犯人の姿を、その瞳の中に捉えたということになるのだ。

 
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