ヒューマンドラマ

【オススメ度★★★★】ものすごくうるさくて、ありえないほど近い/タイトルの意味を探る

概要

2005年に発表され、「9・11文学の金字塔」と評されたジョナサン・サフラン・フォアによるベストセラー小説を、「リトル・ダンサー」「めぐりあう時間たち」のスティーブン・ダルドリー監督が映画化。
9・11テロで最愛の父を亡くした少年オスカーは、クローゼットで1本の鍵を見つけ、父親が残したメッセージを探すためニューヨークの街へ飛び出していく。
第2次世界大戦で運命の変わった祖父母、9・11で命を落とした父、そしてオスカーへと歴史の悲劇に見舞われた3世代の物語がつむがれ、最愛の者を失った人々の再生と希望を描き出していく。脚本は「フォレスト・ガンプ 一期一会」のエリック・ロス。オスカーの父親役にトム・ハンクス、母親役にサンドラ・ブロックらアカデミー賞俳優がそろう。

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タイトル考察

私の癖ではあるが、映画のタイトルを紐解くのが好きだ。そこで一見理解不明なこのタイトルを考察してみよう。(ネタバレ注意!)。

さて、この映画はアメリカの9.11のテロ事件を題材にしており、監督はスティーブン・ダルドリー、2012年のロンドンオリンピック、ロンドンパラリンピックでは、開会式・閉会式の総合プロデューサーを務めている。主人公の少年は新人。トム・ハンクスとサンドラ・ブロックが父、母役を演じている。9.11で父を亡くした少年が、父が残した謎の「鍵」を巡り探索していくストーリーだ。

3.11と9.11

完全な比較対象にならないと思うが、アメリカにおける9.11は、日本における3.11に相通じるものがある。日本においても3.11を扱う映画は多々あるが、そこにはある種、特殊な意味がある。私にとっては、最近の「あまちゃん」が描いた3.11がとても印象的だった。朝ドラという特殊性故に、「あまちゃん」には出演者の中には津波で死亡した設定の者はいなかった。ただ、短絡的には「ドラマチックに描きたい」とお涙ちょうだい的に過剰な演出に走りたくなるところを、宮藤官九郎の本領発揮で、極めて抑えた演出で「あまちゃん」流の3.11が描かれた。多くの登場人物は、打ちのめされ途方に暮れながらも、同情を誘うような素振りを見せず、誰かに頼るのではなく現実を直視しながら何処かで「自分の力で乗り越えなければならないもの」と割り切っているようなところがあった。思ったようには物事は進まないが、ひたむきに頑張り続ければ、いつか乗り越えられる日が来るという描かれ方だった。朝ドラという与えられた場の中で、短絡的でドラマチックなハッピーエンドとは異なる一種独特の抑えたエンディングであった。

一方で「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」はどうかと言うと、第一印象は「見る人を選んでしまう作品である」というものであった。万人に伝わる「分かりやすさ」よりも、前段階でそれなりの思慮深さと映画を観る「耐性」が求められる演出だ。現に様々なレビューや評価が恐ろしく低い。

だが、これは監督が拙いわけではない。確かに、最初の1時間ほどは退屈とも言える「観客に歩み寄らない」シーンが続く。昨今の「分かりやすさ」に慣れてしまっているお客さんにはさぞ退屈&無意味に映ってしまうだろう。映画館では寝ている方も多々お見かけした。

そして何よりも危惧したのは、本作の独特なタイトルの意味が非常に難解である点だ。確信を持って言わせてもらうが、無意味なタイトルをつける映画監督などこの世に存在しない。

タイトルを掘り下げることでこの映画の芯に迫る

間違いなくこの「Extremely Loud & Incredibly Close」の裏に、何かが隠されているはず。

そう確信した私はまず、ネット上をザッピング。で、一番多い答えは、「『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』存在=母親」というものだった。父親との繋がりが強い故に、母親とは上手くいかずもがき苦しんでいた主人公が、最後の最後に母親と和解するに至ったので、だから「母親」が答えだと言うのだ。ここで幾つか要素をまとめておきたい。

(1)「Extremely Loud & Incredibly Close」というタイトルは、子供が自分の「鍵探しの旅」の進捗を逐次まとめていた本の表紙に書かれたものであった。だから、この映画のタイトルを理解する上では、この子供が何故表紙のタイトルとして「Extremely Loud & Incredibly Close」を選んだかを理解する必要がある。少年が母親を意識してこの様なタイトルを付ける訳がない。また、本の表紙のタイトルは少年が最初に付けただろうから、母親との最後の最後の和解を予期できていた訳がない中で、母親を表題にするには些か整合性が取れない。

(2)映画の原題と邦題を比べると、「Incredibly」を「ありえない」と訳している。素直に訳せば「信じられないほど近い」となるはずだから、敢えて「信じられない」を「ありえない」と訳すことには何か意味がある。

(3)タイトルとは直接関係ないが、映画の宣伝では謎の「鍵」がこの物語の非常に重要な「鍵」という位置づけであったが、終わってみれば、「鍵」はキーアイテムであるものの、根幹に関わるものではなかった。鍵の持ち主が「貸金庫に一緒に行ってみるかい?」と聞かれ、当然の如く「行く」を選択すると思ったが、少年はそれを拒んだ。家に帰ってからも、膨大な時間をかけた「鍵探しの旅」が無意味であったことに感情を抑えきれなくなり暴れるに至った。「鍵」は「鍵」じゃないじゃないか……という不満は私にも伝染し不快を共感した。

(4)映画のオープニングは父親がWTCビルから落下するシーンから始まる。それ以外にも様々な所で人の落下シーンが登場する。煙を上げるWTCビルは映し出されていたが、WTCビルの崩壊シーンなど、あまり刺激的なシーンを利用していなかったから、どうしてそこまで落下シーンに拘るのか?

(5)映画のラストで母親との和解のシーンや、ブランコで遊ぶシーンが描かれている。少々、短絡的な挿入の仕方の様に思える一方で、前半部分には淡々とした描写を多用している。映画をドラマチックに仕上げたければ色々なやり方があると思うのだが、この監督は一般受けのする映画という誘惑を断ち切って、前半をわざと退屈に演出するという選択をしたように感じた。能力の高い監督なのに、何故、その様な演出にしたのだろうか?

監督とは一切の面識がない。そして予備知識を持たない私は1日ほど考え、(1)の「何故、少年は本の表紙に『Extremely Loud & Incredibly Close』を選んだのだろう」という問題に立ち返り、「では、少年にとって『Extremely Loud & Incredibly Close』とは何なのか?」を考えるようになった。少年は目的をもって「鍵探しの旅」を続けていたはずである。だから、その目的を達成できずに家に帰り荒れてしまったのである。

では、何を求めて「鍵探しの旅」をしていたのか?

主人公の少年は自分の心の中に様々なトラウマを抱え、それを乗り越えなければならないものと感じていたに違いない。その「乗り越えるべきもの」を探して「鍵探しの旅」を続けていたのである。その「乗り越えるべきもの」は極めて抽象的で、しっかりとその原因を「これだ!」と言い切れるものではなく、ぼんやりとしたものだ。

父親がWTCビルからかけてきた電話の向こうの騒々しさや、自分をところ構わず襲い続ける「電話に出なかった自分」を責める声など、タンバリンを叩いていなければ耐えられない「ものすごくうるさい」ものがそこにある。それは一方で、逃げようとしても逃げれない、自分の体にまとわりつくような「ありえない近さ」を感じていたに違いない。

おそらく、少年の心の中では「何か良く分からないが、感覚的にしか捉えられない『乗り越えなければならないもの』を敢えて言葉にするならば、それは『Extremely Loud & Incredibly Close』だよ」というふんわりとしたものではなかろうか?

それ故に、タイトルの答えを「何か、もっと具体的な物だ」と当てはめようとすると、「母親?」にこじつけられてしまう。

少年は毎夜毎夜、父親がWTCビルから落下してくる夢を見ているのではないか?。その夢から逃れる、ないしは電話に出られなかった自分を受け止めるためには、何か父親が与えた試練を乗り越えなければならず、そのために「鍵探しの旅」を始めたのだろう。

しかし、見つかった「鍵」の答えは、少年が期待する様な「父親が与えた試練」を感じさせるものではなかった。少年はその長い長い時間が全くの無駄になったことが耐えられなかった。

だが、答えは意外な所にあったのである。少年が「乗り越えなければならないもの」を探している時、自分の母親も自分なりに「乗り越えなければならないもの」を持っていて、それを乗り越えるために自分と一緒にその何か(「鍵」のことではない)を探していてくれた。自分一人で乗り越えなければ許して貰えないと信じていたのに、自分が上手く関係を構築できないと感じていた母親が、母親なりの「乗り越えなければならないもの」を探している姿を目の当たりにし、永遠の孤独から解放されたような気持ちを感じたのだ。ある種の共感と言ってもいい。だから少年は、ブランコという壁を「乗り越えられるかも知れない」と信じるに至り、偶然にもそのブランコの下に父親が残した手紙を見つけ、ブランコを乗り越えるに至った。

時系列的にはどちらが先かは分からないが、「Extremely Loud & Incredibly Close」と題した「鍵探しの旅」をまとめた本の最後に、赤い紐を引っ張ると、ブランコから投げ出された父が放物軌道を描きながら上手くWTCビルに着地するパラパラ漫画を描くことができた。

今まで落下してきた父しか思い浮かべることが出来なかったのが、WTCビルにジャンプアップする父の姿に昇華することが出来るようになった。まさに、彼が「乗り越えなければならないもの」を乗り越えたことを象徴するシーンである。

蛇足ではあるが、少年の苦しみは長い長いトンネルであり、(監督にとっては)その感覚を我々が感じるためには前半の一見無意味なシーンが必要だったのだ。決して9.11をドラマチックに描くのではなく、自分自身で乗り越えなければならないものとして描いている。誰かが手を差し伸べて乗り切るのではなく、あくまでも自分自身で乗り越えるしかないのである。その乗り越えるための「鍵」として、あくまでもモチーフとしての「鍵」が登場する。それは決して「魔法の鍵」ではなく、もっと地味でつまらない「鍵」。あくまでも小物でしかないが、それがなければ乗り越えるべきものを乗り越えることが出来なかった、そのきっかけとしての「鍵」は重要な意味を持つ。誰も「魔法の鍵」に頼ることは出来ないのだ。

アメリカ人にとって9.11を描くということは、そう単純なものではないのだろう。それを理解するには、少々、生みの苦しみの様なものが必要なのかも知れない。だから、あの映画のシーンのカケラたちは、今となっては全て必然のようにも思えてならない。

日本の多くの評価では本作はあまり高い点数を得ていない。その「謎解き」の難しさがその低評価の一旦であろう。それも9.11をテーマとする映画の宿命かも知れない。

2011年製作/129分/G/アメリカ
原題:Extremely Loud and Incredibly Close
配給:ワーナー・ブラザース映画

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スタッフ
キャスト
  • トーマス・シェル/トム・ハンクス
  • リンダ・シェル/サンドラ・ブロック
  • オスカー・シェル/トーマス・ホーン
  • マックス・フォン・シドー
  • ビオラ・デイビス
  • ジョン・グッドマン
  • ジェフリー・ライト
  • ゾーイ・コールドウェル
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